アトリエとして活用する
アイウエオ
カキクケコ
– 中曽智子さんへのインタビュー –

ご実家は、広島県大竹市。大学受験を機に尾道へ移住。その後、一旦尾道から離れるが、今度は就職をきっかけに、尾道へ。物件は、長江通り沿いの虫籠窓のある町家物件。住居兼用のアトリエとして、利用中。購入したのは2014年の7月。住み始めたのは2015年の8月で、主要な部分は工務店さんに施工してもらい、アトリエや仕上げはセルフリノベーションで。

「尾道が凄い好きで。どうせ制作活動するなら尾道が良いと思っていました。いろんな人を受け入れてくれる土壌があって、活動もしやすい。家をどうこうするって、自分が作れるものの中では一番大きなもの。せっかく住むなら、全部は手掛けられなくても、自分も家作りに参加したいという欲求が昔からありました。でも、古民家をリノベして住むのは大変なので、最終的には、熱意がないとなかなかできないですね(笑)」

移住のきっかけ
P:尾道でアトリエを持つに至ったきっかけはなんですか?
生まれたのは静岡の浜松で、幼稚園くらいには広島の大竹に。大学進学で尾道市立大学美術学科デザインの一期生として尾道へ来ました。2年の時に素材実習の一貫で陶芸の授業を受けて轆轤にドはまりして。陶芸科が無い学校でもっと陶芸ができるように陶芸部を設立するほど熱中しました。実習のほうでも課題に取り入れ、卒業制作も陶芸で制作。次の進路を考えた時に、「陶芸家になるためにもっと専門的な勉強をしたい」と考え始めました。
P: それで、陶芸家を目指されたのですね。
調べると職業訓練校や研究施設、教育施設を持っているところが結構あって、何校か見学に行きました。その中から多治見市陶磁器意匠研究所の卒業生が伝統工芸から現代陶芸まで幅広く活躍していたのが魅力的だったのもあり、陶芸家への第一歩として多治見で2年間勉強をすることになりました。
P: 尾道に帰ってくることになったきっかけは?
研究所を出た後すぐに作家として食べていくのは厳しいということで、就活をして年末に陶磁器メーカーのデザイナーとして内定を頂きました。一安心して卒業制作に励んでいたところ、大学から「助手をやってみない?」というお誘いが。迷いましたが、大学の窯と工房を使わせてもらえること、実家も広島だというのもあり、結局内定をお断りさせてもらって尾道に戻って来ました。助手を2007年の4月から2016年まで勤め、今は陶芸実習の非常勤講師をしています。普段は尾道の自宅兼アトリエで制作し、個展やグループ展などを広島県内外で開催しています。
空き家探し
P:尾道に帰って来てからの住まいはどうされたのですか?

尾道に帰ってきた時は賃貸に住んでいました。最初に住んでいたのは大学近くの団地で、新婚さんが住むような広さで、まあまあの家賃。当時周辺には近くにお店もなく不便だったので4年住んで家賃の安い別の賃貸に引っ越しました。
その辺りから周囲の人達にどこか家は無いか、アトリエ兼家にできる物件は無いかと聞いて回っていました。2009年か2010年頃には空き家バンクに登録していたと思います。空き家巡りツアーにも参加して。古い家を見るのが好きだったので色々行ってみよう、というくらいだったのですが、不思議な建物を見にいけたりして面白かったですね。

P:当時、作家活動の場所はどうされていましたか?
制作場所は基本大学でしたが、AIR ONOMICHI(尾道の斜面市街地を中心としたアーティスト・イン・レジデンス活動)なども見てまちなかでも活動してみようと思い、拠点として三軒家アパートメントを利用させてもらっていました。最初は56cafe(三軒家アパートメントのカフェ)で陶芸のWSをしたりしていました。その後アパート内の空き部屋を借りたのですが、ここはアトリエというよりは、WSをしたり、尾道にこういう制作者もいるよ、と知ってもらう広報スペースとしてゆるゆると使っていました。
P:そこでもDIYで改修されていましたよね?
2012年に個展をするにあたり、三軒家アパート内にギャラリーもあったのですがそこでなく、西203号室の部屋を借りました。個展をするために床も全部やり替えたので、「これだけ綺麗にしたんだからもうしばらく自分で借りよう」と思って、そこから3~4年くらい借りていました。今のアトリエが出来るくらいのタイミングで退去しました。
P:今の物件との出会いはどんな感じだったのでしょうか?
その三軒家のアトリエでWEBページを見ている時にこの物件を知りました。すぐに見学に行きたいと思い予約を入れて見に行ったのが10月の末、新田さん(空きPスタッフ)に案内してもらいました。
空き家バンクでは斜面市街地の物件がいっぱいありますよね。見晴らしも良いし、住むには楽しそうなのですが、アトリエと兼用にしたかったので見送っていました。粘土は1本20kgくらいあるし、窯も大きいものが入れたかったので、どうしても道路に車が横付けできる物件が欲しいと考えていました。そんな条件の物件は中々見つからなかったのですが、その時たまたま空き家バンクに登録されたこの物件に出会えたんです。
P:初めて内見した時の印象は?
この家は欄間や網代天井とかディティールが可愛いな〜と。建物はボロボロだったけど道路に面していて立地が良い、外見も可愛い。家屋が2つくっついて建っているのでアトリエ兼住居にしやすそう。将来的にギャラリーとかショップとかも立地的にいけるかも、万が一自分が住まなくなった後でも、ちゃんとリノベした後だったら誰かに次を託すこともできそう。と当時考えて前向きに進めていきました。
P:その後はどう進んでいったのですか?
建物の登記移転などに時間がかかって手間取っていたのですが、高垣さん(空き家バンク相談員)に相談できたおかげで何とかなりました。空き家バンクでは、基本的に大家さんとの交渉や契約は本人同士で行うことになります。大家さんとお話をしていたら、「ここを潰したりせずに、そのまま使ってくれる人がいればいいな」と思われていたようで。
P:土地としても価値もある場所なので、あまり車両が横付けできる場所に空き家バンクでは物件はでないですからね。今まででもこういった物件は50軒に1軒あるか無いかです。「解体せずに残して使ってくれる人に」、というのがあって、所有者さんも空き家バンクに登録されたのだと思います。
とても思い入れのあるお家だったのだと思います。リノベーション後に、元の所有者さん方をお招きして、変わったところや変わらないところを見ていただいたり、この家の懐かしい思い出話を聞かせてもらいました。詳しくは聞いていないのですが、二世帯が住まれていて、通り沿いは店舗だった可能性もあると思います。この家を残して欲しいという思いも引き継いで、大切に使わせて頂いています。
P: 縁を感じますね。建物の状態はどうだったのでしょうか?
家を決めた後、家族に報告のため家を見に来てもらったのですが、当時はまだボロボロの状態だったので、驚愕していました。「木材は良いものを使っているし、良い建物ではあるね。直すのは大変そうだけど」との感想をもらいました(笑)手前の家は一部窓もない吹きさらし状態でしたし、奥の建物は、ザーザー雨漏りしていたし、床も抜けていたし日が入りにくいせいかカビも凄かった。建物の状態的にも長江の立地的にも更地にされて駐車場になっているとか、新築に建て替わっていてもおかしくないのに、よく残っていてくれたな〜と思います。
P:他の物件や地域も検討されたのですか?

不動産屋さん巡りをしたり、他にも色々と探していました。しかし窯を置きたいとなると賃貸は難しくて。実家方面であればアトリエを持てるアテがあったので、その年に尾道でいい物件が見つからなければ大竹に帰るのも視野に入れるべきかな、と悩み始めていました。
でも、正直学生時代から尾道が凄い好きで。制作活動するなら尾道が良いと思っていました。理由は、土地柄もあるし人柄もあります。尾道の旧市街地は、昔から文筆家や画家たちも多く出入りしていたり、商業の街として外からもたくさん人を受け入れてきたからか、ちょっと珍しい仕事をしている人に対して警戒しすぎずいい距離感で受け入れてくれる土壌があると感じます。こちらに仕事があったということもありますが、尾道にいたいなということでどうにか粘って探していました。
尾道の旧市街地だけでなくて、郊外にも範囲を広げようかと思っていた矢先にこの物件と出会えたので本当にラッキーでした。繋がりを作って、長く探していくというのがなんだかんだ一番の近道な気がします。

リノベーション
P:この家をアトリエ兼住居という形態にされた理由は何ですか?
アトリエ兼住居にしたかったのは、職場と家を一緒にすることでいつでも仕事ができるようにしたかったからです。出不精でサボり癖があるので通勤したくなかった(笑)。窯の焼成中に様子を見にいきたいとか、作品の乾燥具合を見てひっくり返したいとか、そういうのを朝昼夜関係無くやりたかったというのもあるので。深夜や早朝にパジャマで窯の蓋閉めにいけるのは最高です(笑)。ここは特に同じ敷地に2軒が連なっているので、母屋とアトリエを完全に分けることができて住居スペースに土を上げなくて良いのでそこもちょうどよかった。一つの土地に二つの家があるのが理想的でしたね。
P:改装される上で、業者さん探しはどうされたのでしょうか?
ここをやって頂いた工務店さんは、知り合いのバーのマスターから紹介してもらいました。改装するにあたって一般的には何社か見積もりを取るとか、見学に行くとかすると思うのですが、その時は自分で壁塗りたいとか床塗りたいとか、後から自分で棚を作りたいとか、細かいところばっかりに夢が膨らんで、肝心の業者さんについてはノープラン。お店に行った時にそんな話をしていたら、そのバーの改装をした工務店さんに相談してみては?とアドバイスをいただいて。マスターが連絡を入れてくださったのですが、その日にすぐ話を聞きに来てくれました。尾道市内の工務店さんでした。
P:補助金は何か活用されましたか?
「まちなみ形成事業補助金」が取れるということを渡邉さん(空き家バンク相談員)から教えてもらったのでそちらを利用しました。他にも色々あったみたいなのですが、併用できないものもあって、結局使ったのは1つだけでした。
建築士さんに調査して頂いて、補助金の審査が通りそうだということで話を工務店さんも交えて進めていきました。通り沿いの屋根を本瓦で直しましょうと話していたら、工務店さんに「本瓦での補修は値段も2倍近くかかるのにいいんですか?」、と驚かれました(笑)。でも、街並みを整えるための補助金も頂くから、ということで、通り沿いの屋根は本瓦で復活させました。もちろん、正面から見えない部分は普通の瓦を使って節約しましたけど。
P: この通り、長江通りはかつて本瓦の美しい町並みがありましたが、本瓦で改修している家はほとんどないですよね。だからこそ、この家のファサードが再生されて、今後も残り続けることに、とても意義があると思います。
P:再生資金として、融資などは受けられましたか?
リフォームローンで融資を受けました。なかなか職業的に借りにくかったのですが、3件目の銀行さんの担当の方によくして頂いて、運よく借りられました。一回の工事では、すべて改修することは時間的にも金銭的にも難しかったので、工期は何期かに分けて行っています。工房はだいたいDIYで直していたのですが、雨漏り改修工事の際の融資は金融公庫さんにお願いしました。
P:工務店さんの作業と並行して、DIYもされたのでしょうか?
家の主要部分や通り沿いの虫籠窓の復元は、しっかり職人さんにやって頂いて。自分は壁や床を塗ったり、タイルを貼ったり。友達や学生たちにも声をかけて手伝ってもらいました。壁を珪藻土にしたのですが、初めて塗るときに職人さんに教えて頂いて。みんなで一緒に楽しく塗れました。あと、アトリエの方は、木工事が得意な後輩の作家に手伝ってもらい内装の大部分をDIYしました。
P:家やアトリエのデザインはどうやって決められたのでしょうか?
家をどうこうするって、自分が作るものの中では一番大きなものなので、せっかく住むなら、全部は手掛けられなくても、自分も家作りに参加したいという欲求が昔からありました。空き家、古民家の改修はそれが出来るところが良いですよね。ですが、実際のところ、仕事はフルタイムで、残業もあって、家のための時間を取るのが大変で(笑)。夜中に大きなガラス扉に貼ってあった古いテープをひとり孤独に剝がしに来たり。それでも「自分でできるところは自分で」が家作りの際の要望だったので、熱意と勢いで乗り切りました(笑)。
デザインについては、前々から趣味で集めていた建物などのスクラップ集や、この建物に合わせて新たに集めたイメージを集結させつつ、無垢の木や既存の建具等を活かした家にしたいと思って。
工務店さんとの打ち合わせで、言葉で伝わらない部分はスクラップブックを見てもらったりしてイメージの擦り合わせをしました。
「自分でできるところは自分で」と張り切っていましたが、初めての家作りでわからないことが山盛り。家作りのプロ達の意見はありがたかったです。
母屋の可愛い三角屋根を活かして、天井ぶち抜きの梁見せ天井にしているのは建築士の渡邉さん(空き家バンク相談員)のアイデアですし、そうしたことでできたロフトに上がる階段や手すりは、もともとあったものを再利用して、工務店さんがリデザインしてくれたものです。施主のこだわりやわがままをうまく昇華して形にしてくださり、現代人の住みやすさと古民家の格好良さを活かした家になっていったと思います。
アトリエの方は建物の立地や素材の関係で間取りはあまり遊べていないのですが、こちらはほぼDIYなのもあって、より使いやすく、モチベーションのあがるアトリエを目指して今現在も進化中です。
P: この家の気に入っているところはありますか?
気に入っているところは、もともとある欄間とか古い既存の建具などを再利用して残せたところです。中でも床の間の書院の欄間がとても凝っていて素敵なのですが、その場所が真っ暗であまりにも目立たないので工事で裏に電球を仕込んでもらいました。今では、常夜灯として活躍しています。
今、新築を建ててもこの雰囲気を出すのは難しいことだと思うのでそれを残せたことが嬉しいです。小さいときから古民家を見たり町家に関する本を買って眺めたりするのが好きだったのですが、この家を決めてから「そういえば私って町家に住んでみたかったんだ」、と思い出しました。現代日本人が住んでも不便が無いようにはリフォームしていますが、ガチアンティークな町家に住むことが叶いました。
尾道のこと、移住に関するアドバイス
P:町内会などの地域の活動には参加されていますか?
町内会で年一回お食事会があって近況を報告しあったり。(コロナでしばらく休止中)。月当番で集金袋が回ってきます。町内で街灯をつけているので、その支払いですね。あとはご挨拶程度ですが、少なからずご近所付き合いをしていることで、何かあるときにも一声掛けやすいので安心できます。
P:実際、まちなかに住まれていかがですか?
気軽に市街地へ歩いて出られるのは良いですよね。海も山も近くて尾道を堪能できます。でも、ハイシーズンの長江通りは渋滞がすごくて、車で出かけるときにとても苦労します。それと下水道が通っていないのはマイナス点ですね。まちなかに住んで気づくようになったのはご近所のかわいい建物がどんどん解体されていることです。仕方がないことでもありますが、そういった建物も尾道の魅力のひとつなので残念に思います。
P:古民家暮らしする上で、何かアドバイスありますか?
古い家に住むマイナス面を知って、理解しておくことが大事だと思います。無垢材などの自然素材が好きと言っても、そのマイナス面も愛せないと住めない。例えば、業者さんに、ここも木製でするの?隙間風強いよ?無垢にすると隙間広がってくるよ?と心配されてもむしろ、「それが良いんだ」、と楽しめるかどうか。何となく雰囲気だけで住むと、ネズミはいるし、ムカデもいるし、あれこれ修繕箇所もでてくる。そこも許容して対応できる人でないと住むことがしんどくなってしまうかなと思います。