店舗としての活用する
アイウエオ
カキクケコ
– 水尾之路さんへのインタビュー –

お二人の出身は尾道市因島町と茨城県鹿嶋市。移住前は東京で、アパレルの会社に所属。リーマンショックを機に、転職、移住を決意。空き家バンクには最初期に登録。2015年に再び空き家バンクで動きはじめ、お店をオープンしたのは2017年10月。その間に宿泊・飲食の経験を経て、店舗兼住居としての空き家と出会い改修。現在は宿とカフェを営んでいる。

「正直、リーマンショックが無かったら、定年まで東京で働いて、こっちに帰って来ていたと思います。でも、それをきっかけに都会に住み続けることに疑問を持ち始めました。この家に決めたのでは、感覚的なところが大きいです。かなり悩みましたが、2回目に見に行った帰り道にやっぱり自分たちにはここしかないかな、ここ以外考えられないねと話したことを覚えています。」

移住のきっかけ
P:どういった経緯で尾道に移住されたのですか?

元々同じアパレルの会社に勤務し、上司・部下の関係でした。私が店舗の運営、妻が店舗のスタッフ、丁度自分達がいた最後の方にリーマンショックがあり、劇的に状況が変わってしまいました。ハイエンドなブランドも値下げに踏み切らないといけないような状況で。新宿などの主要店舗を担当していたので、影響はかなり大きかったですね。それから1年近く働いていましたが、担当していた銀座や表参道、新宿、札幌など状況が悪化していくのをとてもリアルに感じていました。小売業自体が縮小していくなかで、イベントを開催するなどなんとか対策を講じていましたが、胃の痛くなるような業務が増えてきて。それが2009年でした。程なく多少業績は回復しましたが、体制は元に戻らず。以前よりも人を大切に出来ないような感覚で。人件費の削減が続き、働き方として自分がそれまで15~16年やってきたことと比べて「ポリシーが違い過ぎるな」と思い、離職を決意しました。

東京に残るか、実家に帰ろうか悩んでいて。サラリーマン生活が長かったので、自分自身で何かを始めるということの難しさはありましたが、都内にこのまま居続けて同業他社に行っても意味が無いと考え、二人の実家のある尾道か鹿島かに選択肢を絞り、最終的には尾道を選びました。元々、いずれ定年したら尾道に帰ってきたいという願望はあったので、それが大幅に早まったという感じですね。

空き家探し
P:尾道市空き家バンクを知ったきっかけは何ですか?
その頃、尾道関連のことを色々と調べているうちに豊田さん(空きP代表)のことを知り、ブログにもたどり着いて。紹介されていた新店舗などの建物が凄く魅力的で。それから2009年か10年には空き家バンクにも登録しました。でも、その時はあまりピンとくるものがなく。資金もまだ準備出来ていなかったですしね。今の物件と出会ったのは2015年、久しぶりに尾道に戻ったタイミングでした。
P:もともと古民家に興味を持っていたのですか?
尾道の町並みを見ながら、今までの自分を振り返って、「好きなものや携わってきたものはユーズドの古いモノやビンテージが多いな」と。そうやって自分の好きなものを考えたときに、実家のある因島の周辺都市を見回してみて、尾道が良いかもしれないと思い始めました。主要な地方都市には出張で行っていましたが、「この町並みは独特で、他には無いような街だな。」と改めて感じて。インテリアは20代くらいから興味があったのですが、建築は空き家バンクに登録してから興味を持ち始めたましたね。
P:久しぶりの尾道の印象はどのような感じでしたか?

空き家バンクに登録するためには尾道に行かなければいけなかったので、自分は久しぶりの帰省、妻は初めての尾道でした。2010年の6月のことだったと思います。そこで新田さん(空きP空き家バンク担当)とお会いしました。空き家バンクに登録する中で、空き家のこと、プロジェクトのこと、尾道のことを同じ尾道出身者の方に、生き生きと語って頂いたのは大きかったですね。自分がこれまで帰省するたびに見ていた尾道は、どんどん寂れていくイメージだったので。プロジェクトにも共感して、何度か再生作業をお手伝いさせて頂きました。

その頃、工事中だった尾道ゲストハウス「みはらし亭」を見に行ったのですが、「あんたら昨日からうろうろしよるな」と知らないおじさんに声をかけられて。その後、その方が半日かけて、まちの歴史を話しながらお寺など色々案内して下さって。なぜ詳しいのかと尋ねたら、昔、大きい会社の総務をされていたときに、出張で来られる方々を案内するために、図書館で勉強したからだということでした。

P:なかなか濃い体験ですね。
尾道は、自分が因島出身だということもあるのですが、実際に住んでみるとこの近隣の備後地方とは明らかに気質が違うというイメージが強いですね。備後地方の中でも、尾道は特殊な気がします。よそ者に対しての愛想は、備後の人達は凄く良くしてくれるのですが、「住むとなったら違うよ」、「自分達の仲間になるのだったら覚悟がいるよ」というのがあからさまにありました。しかし尾道(旧市街地)はあまりそこにこだわらないというか、来る者拒まず去る者追わずという感じがあって。やっぱり昔から港町で凄い人の出入りが日常茶飯事だったからなのかなと思います。そういった気質があったので、自分たちも今のお店をやり始めやすかったですね。それから自分の生まれ育った文化圏に凄く近いけど、地元でないところで商売や生活がしたかったので、因島ではなくて尾道を選びました。当時もいくつかの魅力的なお店はありましたが、まだまだ人が少ないと感じていたので、果たして本当に「自分たちがお店を始めて大丈夫なのか?」という迷いはありましたが、何度か訪れる内に、知り合いも出来ていきました。
P:それからは具体的にどう動いていったのでしょうか?

2010年6月空き家バンクに登録したときは、漠然とでしたが飲食やカフェなどを検討していて。アパレルの会社が衣食住にまつわるブランド展開をしていたので、ライフスタイルに関わることを自分自身でやりたいと思っていたのが大きかったです。ですが、カフェ事業を学ぶ講座を受講し、事業計画書を作ってみると、資金が足りないことが分かってきて。まずは資金を短期で稼げる方法を調べ、ホテルで働くことにしました。2人とも接客業が長かったので大丈夫だと思っていましたが、実際は全く別物で。2011年から4年間働いていましたが業務は想像以上に過酷で、これを一生やるのは自分たちには無理だなと思いました(笑)

それでも得ることが出来たものはたくさんありました。地方都市で働いていたのですが、とても閉鎖的で横の繋がりがないようなところで。最初は街の人や関係する業者さんから明らかに全然信用されていないなと思っていました。一見理不尽のように見えることに無力感を感じることもありましたが、とにかく4年間は人に誠実であり続けようと働いていくうちに、いつしか困っている時には助けて頂けるような関係性になっていて。お客様相手でかつ地域に住みながらの商売だったので、地域の方々に「可愛がって頂くことが大事だな」というのは、そこで凄く実感しました。ちょっとの間、出家するような感覚ですが(笑)そんな中でも二人で就職していたので、役割分担しながら働くことが出来たのは大きかったですね。

P:その時の経験が今も生きているのですね。
アパレル業界で働いていた時は、自分たちが好きな世界があって、その世界に共鳴してくれる方がいらっしゃって。逆にホテル働いていた時は、お客様を選べない職場だったので、本当に色んな人がいるなと思いました。いい歳になって、大人からあんなに怒られるとは思っておらず、しかも日常茶飯事だったので(笑)その経験から、自分たちのお店は「波長が合う人に来て頂ける店にしよう」と改めて確認することが出来ました。
P:この家との出会いは、 いつ頃だったのですか?

ホテルで働いて資金を貯めた後、久しぶりに尾道を訪れることにしました。それまでもweb上の空き家バンクの物件情報は見ていたのですが、どんどん尾道が変わっていくことに焦りもあって。離れていると、尾道は、瀬戸内の風景やしまなみ海道、レモンなどの特産品を使ってうまく集客しながら、新店舗がどんどん出店しているなと感じていました。

そして、2015年。この物件を見て、なかなか心が離れなくなりました。この物件で成立することは何かと考えた時に「宿だろう」と。建物ありきで考えた時に、宿という選択肢が出たのはホテルで働いた経験があったからだと思います。

この物件は、空き家バンクで再々登録された物件です。元々の所有者さんの家系が、お茶屋さんをされており、そのお客さんをもてなす役割も担っていた家のようです。前所有者の方が空き家バンクで購入し、ロボット博物館を造るという壮大な計画を建てられていたのですが、道半ばで体調を崩されてしまって。私たちは、その方から譲って頂きました。

P:この家が気に入った理由はなんだったのでしょうか?

その当時1階は明かりが点かずに真っ暗で、庭の草木も生い茂っていて光も全く入ってこず。携帯の明かりを頼りに歩いていました。ものがたくさんあり足の踏み場もあるか無いかという状況で、2階に上がってみたら光が凄く綺麗で、感動したのを覚えています。

家屋の細かいディティール、左官壁のアールの出し方とか凄く綺麗だなと。細かく丁寧に作られていることが分かって、この建物に惹かれましたね。しかし、どうしてもここだと思った理由は、「存在感が凄い家だな」と思ったからです。ちょっと圧倒されるというか、「お邪魔します」と入る感じがあって。

朽ち始めているところもあるけれど、なんだか抜け殻になっていない家かなという感じもあって。それは前所有者さんが手を入れていたということもあるのかもしれないです。もしそうであれば、それを引き継ぎたいな、という思いもありました。

P:この家に決めたポイントはありますか?

感覚的なところが大きいです。普通に考えたら立地が悪いし、結構なチャレンジだと思いました。かなり悩んで、買いたいという思いは非常に強かったのですが、一旦は保留にしていたんです。でも、自分たちの中ではずっと引っかかっていて。2回目に見に行った帰り道に「やっぱり自分たちにはここしかないかな」「ここ以外考えられないね」という会話をしたのは覚えています。この場所でも求心力がある場を自分達が作れるのであれば、距離感とか立地とか視認性の悪さのわかりにくさがフィルターとなって、出会いたい人に出会えるという場を作れるかな、と考えるようになりました。

当時、同時進行で空き家バンク以外にもネットや不動産屋さんにも見に行っていました。自分自身生まれ育ったのが古い日本家屋だったこともあり、元々は古いビルがよかったんです。家というよりは建物というかビルディングという感じ。アパレルに勤務していた時、自分たちの世代でカッコイイとか憧れのものは海外で、ユーズドとかビンテージとかアンティークと呼ばれるものが好きでお店に行っていたので。でも、だんだんと興味が日本のモノ、和にシフトしてきていたことも理由の1つだと思います。

リノベーション
P:再生工事はどのように進めたのでしょうか?

再生工事のことは全く分からなかったので、空き家バンクの相談会に行きました。事業計画書とかも持って。そこで、色々とアドバイスをもらったので、ただ相談するだけのつもりで行ったのですが、その後に日本政策金融公庫さんにも行ったし、商工会議所にも行ってというように、短期感で色んなことが進みました。

リノベーションにいくらかかるのかも想像がつかなかったので、それからネットで調べるようになりました。実際に自分たちが使うことをイメージしながら、古い建物を本気で見に行ったりもしましたね。この建具はどんな感じで付いているだろうとか。都内だとそういうような場所はいっぱいあって。尾道に通いながら江戸東京たてもの園などに行って色々情報を仕入れたりしていました。

P:お店のデザインは誰かに相談されたのでしょうか?

デザインは建築士さんなどに頼らず、自分たちでやりました。けれど、絵が描けるわけでも無く、パースが書けるわけでも無く。イメージボードを作っていって、手持ちの家具や好きなモノとかも混ぜ込んで、それらの家具と家との妥協点を見つけるにはどうすれば良いか考えました。

色んな物件を調べてみる中で、ビンテージハウスという書籍が好きでしたね。あとは、京都のリノベーションをメインでやっている方のサイト等を調べたりして、それには凄く惹かれたのですが、建築士として改修を手がけているものを見たら何か違うなという感じで。自分たちは何が好きなのかということを考えながら、リノベーションをすることでどういうものができるのか事例を探しましたが、これだというのがなかなか見つかず。古民家だが新築のような内装のもの、躯体だけ残して100年経った家をあと100年使えるように直すというというようなもの、凄くモダンな感じと古いモノのコントラストでかっこよくするというようなもの、色々と見ましたが、自分が好きなのはそういうテイストでも無いなという感じでした。

最終的には、お店という以前にやっぱり自分たちが住むところ、というのがあったので、そこで一番しっくりくるというので色々探したけど全然ピンとこなくて。色々と悩んでいる中で、「みはらし亭」を見に行った時に、これが一番近しいかもと思いました。それは、古いモノと新しいモノの境目を、お互いをぼやかすことで溶け込ませるようにする。ということで、その考えをベースに、その後の自分たちの感覚でお店づくりを進めていきました。

P:リノベーションを行う上で、業者さんの選定はどうされたのですか?
業者さんの選定は、空き家相談会で相談している中で、「親族か知り合いにいればベストだけど」と言われて、そこで初めて妻の父親がそういう建築の仕事をしていることを思い出しました。父親に相談しようということになり、鹿島への帰省のタイミングで、現地の写真と改装プランを細かく書いて見積もりをお願いしたら、おおよその予算が返ってきて。それから仕様書を書いた方が良いと言われました。壁や床の仕上げ、コンセント新設何本、畳何畳分など具体的なところです。それから、父親の知り合いづてに、この近くの工務店さんにたどり着きました。しっかり大きさを現場で測って、見積もりを細かく出して頂いたので、予算からオーバーしている部分を削っていきやすかったですね。例えば、最初は通り土間を大谷石にしたかったのですが、そこはあまり見えないところだから無しにしよう、というような感じで細かく削っていきました。
P:DIYで施工した箇所もありますか?
工事に入ってもらいながらも、DIYでやったりする部分もありました。空き家相談会で、「命に関わること以外だったらできますよ」と言われたことが印象的で(笑)。ここの改装始まっていく時の中で、建具の色、元々の古い木の色を自分の理想としては落としたかったんです。壁を全部やり直す前にハウスクリーニングの業者さんが薬品とか使って綺麗にしてくれていたのですが、それではただ色が落ちるだけで。色の深みというか蓄積されたものとか艶感とかが消えなかったので、これは「自分でやるしかないな」と思って。業者さんと平行作業でした。施工業者さんが入ってる中で因島の実家から通って、建具や廊下などはサンドペーパーで表面を剥離研磨して今のような艶感にしました。手持ちの家具とかと質感を合わせていって、マットな感じだと現代のものとも合うと思っていたので。坪庭なども自分達でやってみて、イメージ通りに仕上がったのでよかったですね。
P:完成してみて実際にどうでしたか?
工務店さんは、とても細いところまで意図を汲み取って施工して頂いたので、非常に助かりました。はじめは、やりたいことを理解してもらえないこともありましたが、毎日現場に来て作業をして、同じ場所で過ごしている時間が長くなるにつれて、何となくの感覚も、汲み取って頂けるようになっていきました。細かくオーダーしていないところも、これは自分の仕事だから、という感じで仕上げてくれたところもあって。蔵の壁の部分の仕上げや額縁仕上げも、こっちの方が良いだろうということでやって頂きました。建具なども、自分たちの意図を汲み取って、何度も色を合わせて頂いたり。なので、完成した後で、こんなはずでは……というのは一箇所も無いんです。
P:苦労されたところはありますか?

物件選定に関しては、渡邉さん(空き家バンク相談員)とのやり取りが、とても勉強になりました。建物の歴史とか用途とか、どういうために建てられたものなのかということを分かって、それに沿った直し方活用の仕方をするのが良いと言われていたのですが、本当にそうだなと思って。なんか惹かれるなという建物に耳を傾けてみるというのが一番だと。

ただ、宿としての機能が全く無い古い建物を宿にしたいとなったら、建物の意に反することをしようとしている、ということなので大変だなと思いました。この建物は、お客さんが泊まれるようにはなっていたけど、旅館としては一度も家の歴史の中で稼働したことは無いと思うので、そこの部分を甘く考えていて。最終的には、旅館業の営業許可を取るのは凄く苦労しました。また、渡邉さんに助けて頂いて、それがなかったら営業出来ていないかもしれないですね(笑)

尾道のこと、移住に関するアドバイス
P:尾道暮らしはどんな方におすすめですか?
自分は昔の尾道もおぼろげながら知っているので、尾道って本当に大きな街で、一様に尾道とはと言えるような街ではなかったはずです。でもそれが再び注目浴びるようになった時に、やはり画一化された捉えられ方や拾われ方をするようになった今は、多種多様な人に来てもらうのが一番町としても健全なのかなと思っています。いろんなグループがあって、個人でDIYする人がいて、大きな借り入れをして計画的にやる人もいて、というのが街のあり方として一番健全だろうと。尾道には港町の許容力があるので、どんな方にも来て頂ければと思います。